の〇太くんの机の引き出し 〜過去・現在・未来〜

ふと!幼少の頃を思い出したり、ふと!!未来を創造したり、ふと!!!詩を考えたり・・・ とにかく日常思ったままの事を書いていきます。でもここに書いてることはリアの知り合いしかわからないかも・・・

えんじ おじちゃん

昨日お風呂に入っててふと・・・思い出しました。


なんでだろ(笑)


『えんじ おじちゃん』 とは私の叔父にあたる方です。

しかしもう既に故人になってます。

自分の父親でもなく 『叔父さん』 ですが、私には特別な

叔父さんです。歳を取れば取るほど心の中の 

『えんじ おじちゃん』 は特別なものになっています。

亡くなるまで 「茨城の偕楽園を見に行きたい」 といっていた

おじちゃん。 あんなにお世話になったのに私は恩返しが

できなかった・・・  っていうよりも、こんなに早く亡くなって

しまうとは思わなかった。



今でも忘れない。 訃報を聞いたのはすでに千葉に移住してから。

昼間に今まで私の前で泣いた事なんてなかった父のかすれた声。。。



「えんじが・・・死んだ・・・」



えんじおじちゃんは、親族の中で親の次に幼少から病弱だった

私のために動いてくれた。 特殊な病気だった私はすぐに風邪を

ひき、こじらせる。 そのたびに父か えんじおじちゃん が

家から1時間の町まで運んでくれた。

車の匂いと座席の高さによっては車酔いをする私。

吐いた記憶があるのは、ほとんどが えんじおじちゃん。

それでも嫌な顔一つせず、それどころか いつも

「もうすぐだぞー!がんばれ!」といって病院へ

連れて行ってくれた。 そしてもう一つの声は母の

「お兄さん、本当にすみません。。。」 この謝罪の声。



病院へつくと、グッタリした私に自分の娘のように

励ましてくれた。そんな事が何度あったことか・・・



北海道のため、冬場はスキー授業があった。

私の時代 (もう20年以上前) はスキー授業のたびに

自分で学校にスキーを持参する。置いて帰ったりできない。

そのため授業後も持って帰らなければならない。

学校から自宅まで冬道で25分くらいだったろうか・・・

小学生の私には重くて重くて引きずっていた。

しかし、そのたびに仕事中のおじちゃんが車で通りかかり

(仕事上車には乗せられない) 車を止めて励ましてくれた。



コンビニでバイトをしていると、「売り上げになるだろ?」と

いって毎朝スポーツ新聞とタバコを買ってくれた。

だから一緒に働いていたパートのおばちゃんたちも

えんじおじちゃんと話すようになっていた。

何気に裏方にいると 「おじちゃん、きたよ!!」 と

有名人だった。




おじちゃんの口癖は 「えりぃぃ〜・・・」(笑)

えんじおじちゃんとはお酒をかわしたかった。。。


テーマ:ひとりごと。 - ジャンル:日記

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