えんじ おじちゃん2008-02-20 Wed 13:05
昨日お風呂に入っててふと・・・思い出しました。
なんでだろ(笑) 『えんじ おじちゃん』 とは私の叔父にあたる方です。 しかしもう既に故人になってます。 自分の父親でもなく 『叔父さん』 ですが、私には特別な 叔父さんです。歳を取れば取るほど心の中の 『えんじ おじちゃん』 は特別なものになっています。 亡くなるまで 「茨城の偕楽園を見に行きたい」 といっていた おじちゃん。 あんなにお世話になったのに私は恩返しが できなかった・・・ っていうよりも、こんなに早く亡くなって しまうとは思わなかった。 今でも忘れない。 訃報を聞いたのはすでに千葉に移住してから。 昼間に今まで私の前で泣いた事なんてなかった父のかすれた声。。。 「えんじが・・・死んだ・・・」 えんじおじちゃんは、親族の中で親の次に幼少から病弱だった 私のために動いてくれた。 特殊な病気だった私はすぐに風邪を ひき、こじらせる。 そのたびに父か えんじおじちゃん が 家から1時間の町まで運んでくれた。 車の匂いと座席の高さによっては車酔いをする私。 吐いた記憶があるのは、ほとんどが えんじおじちゃん。 それでも嫌な顔一つせず、それどころか いつも 「もうすぐだぞー!がんばれ!」といって病院へ 連れて行ってくれた。 そしてもう一つの声は母の 「お兄さん、本当にすみません。。。」 この謝罪の声。 病院へつくと、グッタリした私に自分の娘のように 励ましてくれた。そんな事が何度あったことか・・・ 北海道のため、冬場はスキー授業があった。 私の時代 (もう20年以上前) はスキー授業のたびに 自分で学校にスキーを持参する。置いて帰ったりできない。 そのため授業後も持って帰らなければならない。 学校から自宅まで冬道で25分くらいだったろうか・・・ 小学生の私には重くて重くて引きずっていた。 しかし、そのたびに仕事中のおじちゃんが車で通りかかり (仕事上車には乗せられない) 車を止めて励ましてくれた。 コンビニでバイトをしていると、「売り上げになるだろ?」と いって毎朝スポーツ新聞とタバコを買ってくれた。 だから一緒に働いていたパートのおばちゃんたちも えんじおじちゃんと話すようになっていた。 何気に裏方にいると 「おじちゃん、きたよ!!」 と 有名人だった。 おじちゃんの口癖は 「えりぃぃ〜・・・」(笑) えんじおじちゃんとはお酒をかわしたかった。。。 |
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